びわ湖-湖北、長浜の魅力

開町450年 秀吉さんによって作られたまち 近世城下町の原型

天正元年(1573)浅井氏を滅ぼした織田信長は、羽柴秀吉に江北12万石の領地を与えました。秀吉公は今浜と呼ばれたびわ湖のほとりに長浜城を築き、そこに新たな城下町を作りました。後の天下統一の第一歩となった長浜城は出世城ともいわれます。

長浜のまちは、今日まで開町当時の町割りがほぼ残っており、現存する近世城下町の中では最も古く、今日のまちづくりの雛型ともいえるまちなのです。

長浜城(長浜城歴史博物館) 1983年に市民の寄付で再興される

町衆自治として、地場産業が発達し町民文化が栄える

江戸時代の町割り図はほぼ今日と同じ 赤線内が朱印地(無税)

江戸時代、長浜の町は朱印地(画像の赤線内)として税が免除され、多くの商人が来てにぎわいました。江戸時代には濱ちりめんやビロードなどの地場産業が栄えました。長浜の町は十人衆といわれる町民自治が行われて、多くの文化が花開きました。これらの町人文化の集大成ともいわれるのが長浜曳山祭です。(ユネスコ無形文化遺産登録)

長浜曳山祭は秀吉公にルーツを持ち、絢爛豪華な曳山の上では、子供歌舞伎が披露される日本三大山車祭の一つともいわれます。この偉大な祭を次代へ引き継ぐべく、今でも町衆に受け継がれているのです。

長浜曳山祭 4月15日に開催される
長浜曳山祭りの裸参り
囃子(しゃぎり)保存会 子供たちは小さなころから笛を習い、本日のサポートを行う

進取の気性 町衆の心意気がまちづくりを進める

明治に入って、文明開化の波にのり、長浜の町衆は滋賀県初の小学校、銀行などの施設を次々と作って町の発展に大きく寄与しました。行政が行うのではなく、民間がまちづくりを行うという長浜の伝統のルーツを見ることができます。

開智学校(滋賀県下初の小学校)は町民の寄付によって建設された(現・長浜小学校)
現存する日本最古の駅舎 長浜駅舎 新橋から長浜まで鉄道が通り、敦賀へは鉄道、大津へは汽船が通じ、交通の拠点となった
明治天皇行幸のために浅見又造氏が建設した慶雲館では毎年「盆梅展」が開催される

市民主導のまちづくり 黒壁と大河ドラマイベント

自分たちの手でまちづくりを行う、という現代のまちづくりの代表が「黒壁スクエア」です。まちを活性化したいという町衆の出資から生まれ、新しいガラス文化を町なかに持ち込み、全国各地の町がシャッター通りに苦しむ中、年間200万人を超える観光客を迎える街によみがえらせました。中心市街地活性化の代表事例として広く知られています。

黒壁本館 毎年10月初めに行われる長浜芸術版楽市楽座アートインナガハマのイベント風景
黒壁 ステンドグラスの体験教室

また、「秀吉」「功名が辻」「江~姫たちの戦国」など、大河ドラマの当地となり、その大河ドラマ博覧会においては、多くの市民ボランティアが参加して成功に導くなど、市民主導のまちづくりが行われています。

1996年北近江秀吉博覧会フィナーレ 400名を超える市民ボランティアが活躍

人が輝くまちづくりを

長浜の魅力、それは長浜の町を作り、そこで石田三成公始め、多くの家臣をかかえて天下統一を果たした秀吉公にルーツをみるのかもしれません。私たち湖北ライフスタイル研究所も、新しい長浜のまちづくりをめざして取り組んでいます。

長浜きもの大園遊会の風景(ながはま御坊表参道)